中田久美監督の経歴!元天才セッターは東京オリンピックでも伝説を作れるのか?

中田久美監督の経歴!元天才セッターは東京オリンピックでも伝説を作れるのか?

女子バレー世界選手権が盛り上がってきました!セルビアに勝って、ブラジルからも2セット連取・・・もしかしてブラジルにも勝つんじゃね?と思ってテレビ見て応援してました。

がーん、なんとあっさり、逆転負け〜(いっこうさん風)。

こんな時こそ、中田久美監督には黒後選手たちに声を大にして言ってもらいたい、あの名言を!

てめぇら、このやろー

監督がキレたらマジで怖いよぉ〜、笑。

それはさておき、中田久美さんってすごい天才セッターだったとよく聞きますよね。実際にどれくらいスゴい選手だったのかは、後述するとして、仕事から帰ってきて来週のテレビ欄を見ていたら、なんと、特集やってくれるんですね、スゴいぞ、「プロフェッショナル 仕事の流儀(NHK)」。

今は闘将として日本代表チームを指揮していますが、選手時代よりすごみが増してる気がするのは私だけじゃないはず。ちなみに、髪型だって、監督をしている今のほうがモデル時代のそれよりもかっこいい!とも思う。

ともあれ、久々にじっくりテレビで見ることができますよ。モデル並みの美貌をもつ中田久美さんのことを画面を通して堪能できるなんて、幸せですっ。

10月15日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、女子バレーの復活に挑む「闘将」中田久美さんの半年間にわたる密着取材をまとめたものらしいです。

美貌と才能に恵まれた中田久美さんがバレーボールの全日本女子監督になるまでには、想像を絶するような苦難の道のりの連続だったであろうことは誰にだって想像がつくはず。うん、うん。

でもきっと、実は知ってるようで知らなかった、なんていう話を聞けるんじゃないかな、と今からワクワクです。

なんだか妙に中田久美監督に興味が湧いてきたので、経歴やプロフィール、怪我で闘病中のこと、そして監督になるまでの現在の活動状況について事前学習してから、「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見るつもりです。

でもって、せっかくなので、記事にしてみましたので、興味のある方はぜひご覧くださいませ。

中田久美監督は今、2020年の東京オリンピックで伝説を作るために、日々、奮闘しています。みんなで応援していきましょうね。今後のご活躍がますます楽しみです。

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中田久美監督の経歴!元天才セッターは東京オリンピックでも伝説を作れるのか?

中田久美(女子バレー監督)の経歴、Wiki風プロフィール


経歴

主な経歴
・練馬区立練馬東中学校入学後からバレーボールを始める。
(プチ情報:当時、生徒会副会長を務めていた尾崎豊が同級生だったそうです。)
・中学2年生の時、山田重雄の英才教育バレーチーム『LAエンジェルス』に2期生として入団。
・史上最年少の15歳(中学3年生)で全日本代表に選出され、同年の日中対抗にセンタープレーヤーとして出場。
(その後、彼女の素質を見抜いた山田監督の指示でセッターへ転向)
・翌1981年に日立に進み、セッター転向わずか1年でスタメンを獲得。
(プチ情報:日本リーグ(現・プレミアリーグ)デビューは16歳3ヶ月。
2007年1月に15歳4ヶ月で岡山シーガルズのセッター堀口夏実が出場するまでは、最年少記録だった。)
・1983年からは日本代表でもスタメンセッターとなる。
(プチ情報:同年のアジア選手権では当時世界一の中国を破り、優勝を飾った。
・1984年のロス五輪でも銅メダルを獲得。
・1986年9月 世界選手権で主将を務めた。
・1986年11月 練習中に右膝前十字じん帯を断裂。(再起不能ともいわれた大ケガだったが、リハビリを乗り越え10ヶ月後に試合に復帰。)
・1988年2月 再び右膝を手術。しかし右膝は完治せず、試合の時は痛み止めの薬を手放せなくなる。
・1988年 ソウル五輪出場
・1992年 バルセロナ五輪に出場。
(プチ情報:日本女子バレー史上初となる3度目の五輪出場を果たし、日本選手団の旗手も務めた。)
・1992年11月 一度、現役引するも、1995年に現役復帰。1996年にはアシスタントコーチに就任。
・1997年 日立を退社して以降、バレーボール教室など後進の指導や全国各地での講演、
バレーボール解説者のほか、スポーツキャスター、タレントとして活動。
・2005年 日本バレーボール協会の強化委員を務めた。
・2008年 イタリアプロリーグセリエA・ヴィチェンツァのコーチに就任。
(プチ情報:日本人女子として初めて海外バレーボールチームの指導者となった。)
・2009年 セリエA・ノヴァーラのアシスタントコーチに就任。
・2011年9月 久光製薬スプリングスのコーチに就任し、2012年7月1日付で監督に就任した。
・2012年12月24日 都城で行われた天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で監督就任1年目にして優勝。
・その後、Vプレミアリーグと黒鷲旗全日本男女選抜大会も制覇し、女子チームで初めてとなる3冠を達成。
(日韓Vリーグトップマッチと2012年ぎふ国体を含めると5冠となる)
・2016年10月25日 バレーボール女子日本代表の監督に選出された。
(プチ情報:女性監督では生沼スミエに次いで2人目。2017年5月、久光製薬を退部。)

所属チーム履歴
• 練馬東中→日立(1981-1992年、1995-1996年)
• 全日本代表 – 1980-1986年、1988-1989年、1991-1992年
• 全日本代表としての主な国際大会出場歴
• オリンピック – 1984年、1988年、1992年
• 世界選手権 – 1982年、1986年
• ワールドカップ – 1985年、1989年、1991年

受賞歴
• 1981年 – 第15回日本リーグ 新人賞
• 1982年 – 第16回日本リーグ ベスト6
• 1983年 – 第17回日本リーグ ベスト6
• 1984年 – 第18回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
• 1985年 – 第19回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
• 1989年 – ワールドカップ ベストセッター賞
• 1990年 – 第24回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
• 1991年 – 第25回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
• 2007年 – 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞

 

 

プロフィール

• 本名 中田久美
• 読み方 なかだ くみ
• 出身地 東京都練馬区
• 生年月日 1968年9月3日 だから、 9(く)3(み)なんですよ。
• 年齢 53歳(2018年10月現在)
• 身長 176cm
• 体重 62kg
• 学歴 練馬区立練馬東中学校入学 NHK学園高校卒業
• 利き手 両手
• 愛称 クミ
• 血液型 A型
• 職業 バレーボール全日本女子監督

 

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中田久美(女子バレー監督)の主な伝説・エピソード


全日本に入った当初はセンタープレイヤー登録だったのに・・・

・セッター転向を持ちかけられたとき、「私、全日本のセンターなんだけど?」と思ったようです。

トスの上げ方で一時代を築く!?

・オーバーハンドパスを額よりも高い位置で取り始めたのは中田久美さんが初だったそうです。
ブラジル代表のセッター・マウリシオも中田のスタイルに倣ったといわれています。

世界一の負けず嫌い!?

・1992年、バルセロナ五輪に日本女子バレー史上初となる3度目の五輪出場を果たしたが、
試合に負けてしまうだけでなくメダルを逃してしまう結果となってしまい、
あまりの悔しさに号泣しながらバレーコートを去っていった。

えっ、バツイチなの?

・一度選手を引退してから結婚し、セミヌード写真集も発表して話題を集めたが、
夫婦間のすれ違いから離婚。現在は独身である。

ホントに怖い女性なの?

・春高バレーの応援企画「コーチングキャラバン」での指導で選手を一喝する場面が
多いためか、「恐怖」のイメージがついている。

・解説者の時に、試合内容に憤ったあまり、中継席にあったボールペンをへし折ったほどでもある。

闘将の原点は?

・指導方法については1982年アジア大会で指揮を執った現時点での全日本唯一の女性監督である生沼スミエさんから影響を受けたと語っている。

てめえら、この野郎!!」の真相 すぽると

・2004年6月、全日本女子がアテネオリンピック出場権を獲得した直後、選手と共に中田久美さんもフジテレビ「すぽると!」の生放送に登場した。

その際、同番組直前の打ち上げにより酔いが冷めやらぬまま女子選手達は同番組に生出演、その選手らの行き過ぎた浮かれ具合とはしゃぎ振り(実際選手達は、五輪出場権を獲得してテンションが上がって「キャーキャー」と盛り上がり、
司会の質問が聞き取りにくくなる程だった)に、中田自身は業を煮やしていた
(なおこの生放送前、中田久美さんは当時全日本主将の吉原知子さんに対し立腹寸前の表情で「ちゃんと真面目にやろうね」と注意すると、吉原キャプテンは顔を引きつらせていたという)。

その直後にテレビ画面が試合映像のVTRに切り替わり、渡辺和洋(フジテレビアナウンサー)が試合模様を解説し始めた途端、中田久美さん本人のマイクがオンだったままを知らず、突然女子選手達に向かって、「てめえら、この野郎!!」と大声で諌めて一喝した。

中田久美

さっきまで賑やかだった女子選手達の気を引き締め、同時にスタジオ全体をも静まり返らせたが、その中田久美さんの容赦ない怒鳴り声が全国に流れてしまった(当時スタジオには全日本女子監督・柳本晶一の他、フジテレビの局長を初め幹部も多数いたとの事。

CM明けの女子選手達は打って変わって大人しくなり、中にはバツが悪そうな顔の選手もいた)。

この事で中田久美さんは、今後フジテレビへの出入り禁止を覚悟する程だったとのちに語っているが、後日日本バレーボール協会のスタッフから「色々ご指導有難う御座いました」と感謝の言葉を貰ったという。

 

中田久美(女子バレー監督)のモデル時代


さてそんな強面な中田久美さんなのですが、現役引退後、結婚直後になんとモデルとして活動されていた時期があったなんてご存知でしたか?

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1998年には写真集も出版されていたんですよぉ。残念ながら画像等は発見できませんでしたが、写真集を出すくらいですから代表メンバー時代の話なのかと思いましたが、上記の通り1998年なんですよね。

30代になってからのモデルデビューという事になりますよね。ちなみに、知人からのお誘いで始めたらしいです。

当時の事を振り返り『結局、努力をするとか極めるという事はジャンルが違っても一緒なんだと思いました。』と語っていた中田久美さん、他にも『それだったら今まで人生賭けてやってきたバレーボールをさらに極めた方が自分らしいのかな』という風に思ってまたバレーボールに携わる事にしたみたいですね。

最年少15歳で代表入りしその後長きに渡って現役選手を続けさらには現在監督として、日本のバレーボールを牽引している訳ですけれども…モデル経験もまたそんな中田久美さんの糧となったみたいですね。

 

中田久美(女子バレー監督) 「再起不能」の重傷からの復活劇


大きな壁、挫折は?

1986年11月、練習中に右膝前十字じん帯を断裂するといケガをしました。
お医者さんから再起不能ともいわれるほどの大ケガだったそうです。
とてもつらく厳しいリハビリをこなし、10ヶ月後には試合に復帰したのですが、
やはり、このケガが人生で一番大きな壁だったようです。

ちょうど20才の時で右ヒザの靭帯をほとんど全部損傷しまして、お医者さんから「再起不能」と、はっきり言われましたのでそれはちょっとへこみましたね。
「日常生活を出来るようになったら完治と思ってください」と言われるぐらいのケガで、なかなかそれを受け入れる事が出来ませんでしたね。

その後2大会のオリンピックに出場していますが・・・

どうやってその大きな壁を乗り越えた?

「これで終わっていくのかな」というマイナス思考の時間が増えたらしいのですが、ケガをしてバレーボールについて考える時間が多くなって、バレーボールが
自分にとってどれだけ大きなものだったのかということがとてもよく分かってきたそうです。

「だったらもう一回」
と思えるようになったんだとか。

「プレーするのは無理」と言うお医者さんの言葉を無視し、私は「(もう一度コートに立つことが)出来る!」という風に思いながら、エネルギーを出していたそうです。

日常生活が出来るようになるまで1年半と言われたところをオリンピックに間に合わすために、たったの10カ月で復帰したというのだからスゴいよね。

リハビリは、自分で組んでコツコツとやったらしいです。

コートに復帰した時は、

今でもはっきり覚えているのですが、公式戦だったのですけど感覚の誤差があってそれに凄いショックを受けて「これ以上は無理なのかな?」と思った記憶がありますね。

一流選手にとってブランクと言うのは相当大変なものだというね。
なぜなら、筋力的にも、そしてゲーム感覚を戻すのも大変だからです。

リハビリの中で支えになったものは何?

自分を信じる事ですね、もう親でも友達でもチームメートでも無くて
とにかく自分を信じるしかない、それだけですね。なので非常に孤独でしたね。

ドクターストップを無視した?

実は、その後のオリンピックのチームドクターは私のオペしてくれた先生で、「いつでも対応できるように」とついてきてくださって、でも先生はすぐドクターストップをかけるんですよ(笑)
でも「もうやめなさい」と言っても「私は出るから」と言って「痛み止めの注射を打ってください」と言って試合に行っていましたね。

 

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中田久美(女子バレー監督)の結婚相手は誰?子供はいるの?


更新中

中田久美(女子バレー監督)の素顔 


引退から14年後の41歳の時、末期がんの父が「悔いはない」と言うのを聞いて、全ての仕事を捨てて、イタリアに渡ったというね。

世界で勝つために何が必要なのか?

リオ五輪で5位に沈む中、中田久美さんは監督を引き受ける。自分が何とかしなきゃと思ったらしい。2020年の東京オリンピックで伝説を残すために。

心なんていくら折れても構わない。自分で取り戻す力をつけていくしかない。

「心は折れてなんぼ」

折れる心を戻す力が必要。

結果が出ない時はやり方を変えなければならない。世界と戦う怖さだったり辛さだったり。

好きこそものの上手なりが私の真骨頂。

自分を奮い立たせられるのは「自分で決めたことだから」と彼女は言い切る。

プロフェッショナルとは「ブレないこと」

 

中田久美(女子バレー監督) 2020年東京オリンピックで伝説を作る!?


中田久美さん自身が果たせなかった夢、それはオリンピックの金メダル!

バレーを一生懸命頑張っている選手達にオリンピックの素晴らしさやメダルを獲る楽しさを経験させて上げたい、という気持ちが人一倍強い彼女ならきっと、いや間違い無く歴史の一ページを東京オリンンピックで作ってくれるに違いありません。

 

中田久美(女子バレー監督)の本など


著書など

・夢を信じて(中田久美著、日本文化出版、1993年3月)


夢を信じて(中田久美著、日本文化出版、1993年3月)

・バレーボール〈上巻〉基礎編(中田久美、てしろぎたかし、松下佳正共著、集英社、1995年1月)


バレーボール〈上巻〉基礎編(中田久美、てしろぎたかし、松下佳正共著、集英社、1995年1月)

・バレーボール〈上巻〉実践編(中田久美、てしろぎたかし共著、集英社、1995年2月)


バレーボール〈下巻〉実践編(中田久美、てしろぎたかし共著、集英社、1995年2月)

・中田久美写真集 (新潮社、1998年10月)唯一の写真集。セミヌードシーンもある。


中田久美写真集 (新潮社、1998年10月)

・天才セッター中田久美の頭脳(タクティクス)(二宮清純著、新潮社、2003年3月)


天才セッター中田久美の頭脳(タクティクス)(二宮清純著、新潮社、2003年3月)

 

今日のまとめ

中田久美監督の経歴!元天才セッターは東京オリンピックでも伝説を作れるのか?

中田久美監督の経歴

今回は中田久美さんについてご紹介しました。

◉ 中田久美(女子バレー監督)の経歴、Wikiプロフィール
◉ 中田久美(女子バレー監督)のインスタは? Twitterやブログなど
◉ 中田久美(女子バレー監督)のモデル時代
◉ 中田久美(女子バレー監督) 「再起不能」の重傷からの復活劇
◉ 中田久美(女子バレー監督)の結婚相手は誰?子供はいるの?
◉ 中田久美(女子バレー監督)の素顔!黒後愛だけが知っている◯◯
◉ 中田久美(女子バレー監督) 2020年東京オリンピックで伝説を作る!?
◉ 中田久美(女子バレー監督)の本など

 

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